【JOKER】心が痛くなる傑作映画。

ども、ゆうさくです。

久しぶりに作品をテーマにしたブログです。今回は映画『JOKER』の感想と考察です。すごい映画でした。内容を分析したくて2回観たほどの傑作です。

今回の記事には映画のネタバレがあります。ネタバレだらけです。これから映画を観る方は読まないでください。ぜひ、前知識を持たずに映画館に行って欲しいです。

記事の内容は僕が映画から感じたこと考えたことです。『共感できる!』とか『こんな風に考えて観てた人もいたんだ〜』と、思ってらえたら嬉しいですね〜。

それでは記事の内容に入っていきます。以下、ネタバレですので、ご注意を。

 

 

映画『JOKER』から終始感じたこと

以下の4つをテーマに映画『JOKER』を語っていきます。

  • 主演、ホアキン・フェニックスの “心が痛くなる” 素晴らしい演技
  • 映画の見所。不幸の連続が人をどう変えるのか。
  • どうしてアーサーは『JOKER』になってしまったのか
  • この映画は何を伝えたかったのか

何度も言いますが、すごい映画でした。

前情報として僕が知っていたことは、アメリカで公開日に軍隊や警察が出動し映画館の警備が厳重になっていること、バットマンシリーズの悪役、JOKER誕生のストーリーであること。その他の情報は映画の予告をTwitterの反応を見たくらいですね。暗い映画であると予想はしてました。
ですが観終わってみると予想を超えて重く、メッセージ性の強い映画でビックリしました。

僕はこの映画は貧困や差別を題材にした社会派映画だと感じました。アメコミ映画という感じは全くないですね。

映画を観てる間、僕は終始、学生時代を思い出しました。中学校の思い出です。
自分自身の辛かったこと、身体的な障害からバカにされていた友人のこと。2時間以上の映画でしたが終始辛いことを思い出し、観終わって映画館から出た時にはぐったり。
ここ最近、自分の生活は充実していた清々しいくらいの気持ちで映画館に行きましたが、『JOKER』を観た後は暗い気持ちでいっぱいでした。

正直、映画観なきゃ良かったと思ったくらいです。辛く感じた2時間。

ですが『JOKER』はすごい映画です。僕にとって良い作品とは観客の何らかの感情を呼び起こすことです。監督のトッド・フィリップスさんは傑作を作ったと思います。心が晴れるような映画ではないですが、僕にとっては辛い思い出を呼び起こし感情を刺激した素晴らしい映画。犯罪や貧困について色々と考えさせられました。

それでは具体的にこの映画の何が素晴らしかったのか、書いていきます。

主演、ホアキン・フェニックスの  “心が痛くなる”  素晴らしい演技

映画『JOKER』の素晴らしかった点は何か。

それは何と言ってもアーサー・フレック役で主演のホアキン・フェニックスの演技ですね。とにかくすごい。

このアーサーというキャラクターですが、持病で大声で笑ってしまうという脳の病気を持っています。どういったタイミングで症状が出るかは映画では直接語られてませんでしたが、おそらくストレスを感じた時でしょう(後述)。アーサーはこの病気が原因で、辛い人生をおくってきました。病気が原因で周囲の人々からの冷たい視線を浴びる生活です。

“好奇の目” 、”異端者”、”普通にしてろ”、など周囲から様々な視線を感じて生きてきたキャラクター。

このアーサーというキャラクターをホアキンは見事に作り上げました。
体作りは真に迫っていました。やせ細り、肋骨のみえる体。一人で母親を支えつつ自分自身も障害で苦しみ、差別や貧困といった環境の中での生活。この環境で生きている人間を自らの体で表現していました。スクリーンに映し出される彼の姿はとても痛々しく、作品の世界によりひきこまれました。

特に僕を映画の世界に引き込んだのは笑ってしまう症状が出たときの演技です。

周囲の視線を気にして手で口を抑えたり、相手に向けて手のひらを向けて「申し訳ない、すみません」「もうやめてくれ」と、声に出せないため何とか伝えようとする動き。この演技がものすごくリアルでした。
大声を出してしまい申し訳ないというよりも「辛くてしょうがないんだ。お願いだから理解してくれよ」そんなアーサーの気持ちが伝わる演技でした。地下鉄車内で笑ってしまう症状を抑えようとするシーンはピエロ姿にメイクしてることもあって特に痛々しく感じました・・・。

このホアキンの手を使った演技を見て、僕は中学生の頃を思い出しました。

声変わりによって、自分の声が低くなる経験は誰でもあると思います。僕も声変わりを経験した一人だったのですが、自分は特に声が低く、よく声をネタに遊ばれました。
僕は遊ばれているときは笑って流したりしていましたが、本心は辛かったです。あまりにしつこく言われた際は笑ってごまかすこともできず、段々と辛くなり悲しくて喋れなくなります。泣く寸前の状態ですね。そして喋れなくなると相手に手を向けたり、泣き顔を見せないようにしたり、身振り手振りで「もうやめてくれ」と体で表現していました。

ホアキンの演技は当時の自分を思い出させ、アーサーというキャラクターに強く感情移入させました。痛みを共感してしまう演技。ホアキン・フェニックス、すごいです。彼の演技を見て、僕の自分の過去を思い出しながら映画をずっと観ていました。

映画の見所。不幸の連続が人をどう変えるのか。

さて、この映画の見所について語りたいと思います。

それは精神的にも肉体的にも「痛い」「辛い」シーンのオンパレード。この不幸の連続が人をどう変えていくのか。これが『JOKER』の見所だと僕は思います。

何言ってるんだと思われるかもしれませんが、実際に観た方なら理解していただけるかと思います。

序盤からすでに辛いシーンでした。
アーサーがメイクを塗るシーンから始まります。メイクが落ちて泣いているように見え、そして無理矢理口を左右に指で引っ張って笑顔作りの練習。
メイクを終えてピエロになったアーサーは楽器屋の閉店セールにて宣伝の仕事をします。看板を持ち必死に仕事をするも、看板が上下逆だったり、不良の若者に看板をパクられボコボコにされ、良いところが全くありません。蹴られた痛みで路地裏で苦しみ倒れ込むアーサー。そして、そこから画面一杯に映し出される映画タイトルの『JOKER』。

もうね、ここまでのシーンで僕は思いました。
「あぁ・・・観るの嫌だなぁ」と。
この
映画はかなり辛い映画だと感じたのです

嫌な予感は的中し、その後も苦しくなるシーンばかり。ずっと笑顔のピエロということもあり、辛さを余計に感じさせました。無理に笑ってる感じが、もう見てられない・・・

辛い映画でしたが僕は映画を2回観ました。2回目を観て気づいたのですが、アーサーの笑ってしまう症状は何らかのストレス時に発症していると感じました。

楽屋着替え室で同僚で障害を持っているゲイリーがからかわれた時、地下鉄内で女性がポテトを投げつけられているのを見た時など、アーサーが何らかのストレスを感じた時に症状が出ています。

力を発揮しなければいけない、ここぞという時にもストレスを感じてか症状が出ています。
中盤のショーも病気で笑って失敗するのが読めたため、辛く感じました・・・。物語終盤では吹っ切れたのか症状は出なくなっていましたが、頑張っているのに報われず、病気で周囲の視線に晒されるのは観ていて辛かったです。

他にも辛いシーンはあります。

父親だと思って近づいたトーマス・ウェインとのシーン。
優しくハグしてもらいたくて、父親だと思って近づいたのに、告げられたのは母親の妄想癖と自分が養子であること。そして事実を聞いたストレスからか症状が出て笑ってしまう。怪訝な目で見られ、父親と思っていたウェインに殴られる始末。

その後は精神病院に行き、過去の書類からウェインが言っていたことが事実だと知ってしまう。

事実を知り一人階段で笑うアーサー。
自分の人生は何なのか。何もいいことがなかった。症状からなのか、それとも自分の人生が喜劇だと本気で思っているのか笑い続けます。その後、アーサーは今まで信じて優しく介護までしていた母親のペニーを殺害。

そしてマレー・フランクリンとの関係。
尊敬していた人物に「世間の笑いのネタ」にされる辛さ。自分の目指したコメディアンとしてではなく、アーサーを苦しめてきた病気がネタとして笑われ、テレビ出演と続いていきます。テレビに出演したアーサーは最後には口元を震わせ、自分を笑いのネタにしたマレーを、アーサーの信頼を裏切ったマレーを射殺します。

そこから警察に捕まるも、暴徒に助けられ歓声をあび、アーサーは『JOKER』となる・・・

なんかもう、映画を思い出しながら書いていますが、辛すぎる人生です。アーサーが楽しんでいるように見えたのは、序盤での妄想。マレーと一緒にテレビ出演をする妄想シーンくらいでしょうか。ここまでシーンの数々を上げてきたように、辛いシーンしかありません。

元々善良であったアーサー。その彼が身体的に精神的に、どう痛み苦しみ悪に落ちるのか。これがこの映画の見所です。

どうしてアーサーは JOKER になってしまったのか

辛く重いシーンの連続、映画『JOKER』。
そんな中で僕にとって一番印象に残ったシーンがあります。それは自宅にて元同僚を殺害し、別れ際にゲイリーに伝えた言葉です。

「優しかったのは君だけだ」

ゲイリーは同じ職場で働いていた同僚です。大人になっても背が伸びず、おそらく小人症ではないかと思います。アーサーと同じように自身の特徴をからかわれるシーンがあります。そんなゲイリーにアーサーが別れ際に言ったのが上記の言葉です。

ゲイリーは映画で何度か登場しますが、アーサーを苦しめるような言葉は一切言いません。行動からもその優しさは描かれていて、アーサーの自宅を訪れた際は母親が亡くなったことを知り、見舞いのワインを買って訪れたほどです。これは身体的特徴により多くの辛さを経験してきたゲイリーだからこそ、アーサーに優しくできたのではと思います。

ただ、ここで疑問が残ります。なぜ、ゲイリーは悪に染まらず、アーサーは「JOKER」になってしまったのか。

アーサーは貧困や差別に苦しみながらも、一人で母親の面倒をみる心優しい人間でした。だが、アーサーは悪のカリスマになってしまう。なぜこの違いが生まれてしまったか。

僕の勝手な想像ですが、ゲイリーには本当に自分のことを想ってくれる家族がいたのだと思います
それこそアーサーが父親だと考え近づき、ウェインに求めたような存在。優しくハグをしてくれる存在がゲイリにーはいた
だから、ゲイリーは辛いことがあっても優しい気持ちを持ち続けることができた。アーサーとゲイリーの人生が大きく違ってしまった原因ではないでしょうか。

アーサーには本当に自分のことを想ってくれる人はいなかった。孤独だった。これが 「JOKER」 になってしまった一番の原因だと僕は考えます。

映画で描かれているようにアーサーには終始辛いことが続きます。
苦しいことが連続したことは悪に染まった原因です。その中でも一番に影響を与えたのは家族だと信じていた母親に裏切られたことではないでしょうか。精神病棟にて事実を知り、階段で一人笑うアーサー。数々の辛いシーンの中でも一際悲壮感を感じるシーンでした。

自分を想ってくれる人はいない。孤独が 「JOKER」 を作ったのだと思います。

この映画は何を伝えたかったのか

エンドロール後は映画館は静まり返り、どんよりした雰囲気が漂っていました。

感動映画やホラー映画であれば、カップル、友人、家族で映画の内容で盛り上がると思います。ですが、『JOKER』では映画終わった後も誰も喋らず無言。

きっと僕のように学生時代を思い出した人、犯罪や差別について考えた人・・・映画を観て色々考え込んでしまったからこそ、無言だったのではないでしょうか。

どんな作品でもそうですが、作品の感想は観客がどんな人生を経験してきたかで変わると僕は考えています。
特に『JOKER』は人生経験によって、感想が大きく異なると思います。差別や偏見、心のない言葉を受けた人、またその逆のことをした人。こういった方は、特にこの映画に心を動かされるのではと思います。

この映画が伝えたかった事は差別に酷い環境、孤独が続くと人をどう苦しませ、どう変えてしまうのか。そのことを伝えたかった、警告したかったのでは僕は作品から感じました。

社会について考えさせる傑作。この映画を忘れないよう、自分の考えをまとめようと思い今回はブログを書きました。

貧困、差別、孤独について考える機会をくれた『JOKER』は、僕にとって素晴らしい作品です。

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